競輪史上の通算勝利数ベスト3の選手について
2019/10/07
日本の戦後からの競輪の歴史の中でも、通算勝利数のトップ3は、忘れられることなく語り継がれる存在です。歴代3傑の勝利数と選手像をまとめました。
・通算1,341勝もはや競輪の神様となった松本勝明
競輪の中でも今後覆すことは不可能とまで言われる勝利数を誇るのが、京都府出身の松本勝明です。1949年に鳴尾競輪場(甲子園競輪場)で最初のレースをこなすと、以降はトントン拍子に勝利を重ねて1965年には1,000勝に達しました。
レースのスタイルは先行逃げ切り一辺倒で、最初に突っ走ると誰も追いつけないレースが続きました。1981年に引退を迎えるまでに積み上げた勝利は、実に1,341勝。41歳のときに全日本競輪決勝に進出するなど、中年を経てもそのパワーは衰えませんでした。
1972年には日本プロスポーツ大賞を受賞し、その前人未到の功績から、競輪の神様としての名が揺るぎないものとなったのです。1982年からは、京都向日町競輪場で松本勝明賞が開催されて、競輪の神様の存在が今も誇示されています。
・通算1,232勝の吉田実は不死鳥と呼ばれた男
松本勝明の勝利数に次いで、競輪界歴代2位の1,232勝に届いたのが、愛媛県出身の吉田実でした。1950年、愛媛で競輪デビューした吉田は、1953年に競輪祭の決勝で2着となり、全国に名を響かせました。昭和30年代になると、当時は石田・吉田時代と形容されるほどに、石田雄彦と吉田実の実力が抜きん出ている時代でした。
吉田は勝利を重ねて1,000勝を突破しますが、50歳のときに交通事故にあって一時は引退が囁かれます。しかし吉田は諦めずにリハビリをこなして競輪に復帰、最終的に1,232勝にまで数字を伸ばしたのでした。このことが吉田実が不死鳥と呼ばれる所以となっているのです。現在、高松競輪場では吉田実杯が開催されて、いまも名が残っています。
・通算1,188勝古田泰久は輪界の鉄人と呼ばれた
松本勝明、吉田実に次いで通算勝利数が歴代3位に位置しているのが広島県出身、輪界の鉄人こと古田泰久でした。1949年、19歳のときに鳴尾競輪場(甲子園競輪場)でデビューを果たすと先行捲りの戦法によって、松本や石田や吉田という強豪選手に割って入る存在となります。
1957年からは全国都道府県選抜競輪での3連覇を果たすなど存在感は際立ち、1973年には高知にて通算1,000勝の偉業に到達したのでした。古田は最終的に1988年に引退をするまで1,188勝を積み上げて、その記録は競輪通算勝利数ベスト3から、未だに落ちることがないのです。2005年からは広島競輪場において、古田泰久記念杯が開催されて、栄誉が讃えられています。